任世杜氏の悲願!今、龍神丸がここに蘇りました!
≪龍神丸の生みの親 故高垣淳一杜氏が亡くなられてからの4年間・・・≫ 2010年8月、余りにも突然過ぎる訃報は多くの関係者・ファンの方々に深い悲しみと衝撃を与えました。奇しくも同年、高垣酒造は創業170周年の節目を迎え、新たなお酒を生み出すべく試験醸造を行うなど、8代目杜氏・故高垣淳一氏は例年にもまして意欲的に酒造りに取り組みました。 そしてようやく酒造りも一段落し、来期の仕込みの段取りに差し掛かった頃、突然、何の前触れもなくお別れの日が来てしまいました。それは同時に龍神丸の終焉を意味することとなります。 「これから高垣酒造はどうなるのだろう・・・」悲しみと不安が重くのしかかる中、2ヶ月も経つか経たないかの内に、これまで仕込みについては全く携わっていなかった奥様が蔵入りという大きな決断をされました。9代目・高垣任世杜氏の誕生です。 「お酒を造ってほしい」と淳一さんの声がする・・・。 いずこからか聞こえてきたその?想い?は奥様が杜氏就任を決断するにあたり、十分な理由(切っ掛け)だったと思います。 そしてもう一つの理由は、戦時中の米不足の中、多くの蔵が休造を余儀なくされた時にでも高垣酒造は一度も休造することなく170年間続けてきた蔵であり、その歴史をここで止めてしまってはならないという蔵に嫁いだ嫁の思いであり責任だったものと思います。 とはいうものの、何からどういう風にお酒を造っていけばよいのか?というところからの始まりです。増してや家事や子育てをしつつ、酒造りだけでなく経営の全般までもこなしてゆかねばなりません。 そんな中、先代杜氏の嘉宏さんや酒造関係者の方々にご協力頂いて、250Kという小仕込みで造られたお酒が純米吟醸の里の花でした。これを機に七代杜氏の嘉宏さんも現役復帰をし、一緒に流霞純米と本醸造を醸し出しました。こうして高垣嘉宏杜氏と高垣任世杜氏、二人力をあわせ高垣酒造を再スタートいたしました。
一期目と比べるとかなり日本酒らしくはなってきたけれど、まだまだ・・・せめてあともう少し日本酒らしくなってくれれば・・・。しかし今思えば、そんな事思っちゃいけなかったんですよね。 そう、奥様もまだまだ学ぶことが多いなか、頑張ってくれたからこそ後の酒質の向上に繋がったのですから・・・。 三期目、前期と同様に7代目杜氏と共に造られた流霞純米と本醸造と純米吟醸里の花。そして24年度は酵母1501にも挑戦。さらに吟醸里の花と純米甘口(現行の仮名称スイート喜楽里)・・・・確かに色々な造りにも挑戦され酒質もかなり向上してきました。紀ノ酒純米吟醸は県内の鑑評会でも中間以上の評価をいただけました。そして、これらの新しく挑戦したお酒にもリピーターのお客様もついてきて頂きました。 いよいよ4期目の高垣酒造の酒造り・・・すでに25年末には7代目杜氏と一緒にに造られた流霞純米と本醸造が無事発売されていました。26年に入り、例年の純米吟醸紀ノ酒、喜楽里純米も発売し、純米吟醸里の花の販売も4月末に控えております。 そして嬉しいことに今期からは高垣家唯一の男子であるご長男(中学1年生)も、蔵に関わるようになり、任世杜氏の助っ人として手伝いをされるようになりました。 麹づくりを手伝うため室に入ったり、「おかあさん、俺見ているからちょっと休んで来たら・・・」ということで夜中の1時間おきの麹の温度管理なども代わってやってくれたそうです。 任世杜氏曰く「ちょっと頼りないかなぁ、とは思ったけれど、ちゃんと見てくれていた」とのことでした。 試験醸造の大吟醸、純米吟醸の仕込みの際には、私も二日ほど蔵のお手伝いをさせて頂きましたが、この時のご長男は何度も各添え用の蒸米をタンクに運び入れたり、洗米したり、給水したり、色々な段取りも覚えられ「次は××して」と私に教えてくれました。男大人と同じ力仕事もこなしていました。
ご縁あって協力して下さっている酒造関係者の方が行う酒造りの作業を見せもらっている時も、とても真剣な様子で「来年は、もっとお手伝いができるようになろう」という意気込みを感じられるほどでした。それ以後もきっと大人の世界の中で色々と学びながら、一生懸命手伝ってくれていた事でしょう。毎年応援に駆け付けて下さるご近所の皆さまから見ても、きっと高垣家唯一の男子は頼もしく見えたのではないでしょうか。 任世杜氏にとって、なくてはならない存在になりそうですね。 このまま行けば、高垣酒造10代目杜氏が自らの意志で決まっちゃうかもしれませんね。(仕込みの真っ最中、そういえばテスト中といっていたけれど成績どうだったのかなぁ~笑う) こうして、ご縁のもと集まった皆さんのご協力で、ついに新星龍神丸純米吟醸・新星喜楽里大吟醸が今期復活を遂げることになりました! 《これまでのお礼・・・忘れてはならないことを形に・・・そんな思いを表したお酒》 龍神丸の生みの親、故高垣淳一杜氏の47歳での急逝から、これまでの4年間、皆様には高垣酒造を下支え頂けた事に本当に心から感謝致します。 巷の日本酒業界でも「杜氏亡くなられ龍神丸がなくなった今でも熱きファンがこんなに存在していることが不思議」と言われています。従来の流れから行くと潮が引くように人がいなくなるのに「龍神丸って本当にすごいお酒だったんだね」と関心の声も聞こえていました。 そして今でも龍神丸というお酒を中心にご縁の繋がった方々が集い、高垣酒造のお酒を飲み交わしているとも聞いています。 こうして今なお高垣酒造の下支えをして下っさっている方々に対し、感謝の思いを込めたメッセージを形として表そうということで、任世杜氏、7代目杜氏、故淳一杜氏とゆかりのある酒造関係者の方たちとで色々と協議を重ねた結果、新たなる挑戦の酒として「25年度は大吟醸と純米吟醸を試験醸造する!」という答えに辿り着きました。 そして出来上がったお酒は喜ぶべき事に龍神丸・喜楽里を名乗れる酒質になったのではないかという判断に至りました。 新生龍神丸純米吟醸は和歌山県内の鑑評会で上位という評価を頂き、その品質にお墨付きを頂きました。さらに新生喜楽里大吟醸はこれまで高垣酒造としては取り扱ったことがなかった最高級の鑑評会向け兵庫産山田錦特A40%を使って醸され、とても贅沢なお酒となっています。
《最後に》 最初から龍神丸とご縁のあった方たちにとっては、きっと懐かしいひとコマかと思います。 みゆきやは、龍神丸と高垣酒造というご縁から繋がった皆様の支えによって6畳一間の酒屋から抜け出したといっても過言ではないでしょう。
だからこそ、当店にとって、私にとって高垣酒造は思い入れのある酒蔵であり心より復活して頂きたいと願って止みませんでした。 そして、これまで下支えをして頂いた高垣ファンの皆様に感謝の気持ちだけではなく、何よりも見える形として蔵の進化をお届けすることが大切だということで、7代目杜氏嘉宏氏、9代目杜氏任世さんをはじめとする酒造関係者のみなさんのお力とご協力で今期、龍神丸復活だけでなく、大吟醸というお酒にまでたどり着くことまで導いていただいことに感謝するばかりです。 天保11年(1870年)より一度も途絶えることなくお酒造りを続けてきた小さな蔵。 七代目杜氏高垣嘉宏氏の引退後、正に命を削って酒造りに勤しんだ八代目淳一杜氏、夫の遺志を次いで日々尽力されている九代目任世杜氏、そして蔵の再起のために現役復帰された七代目と若年ながら頑張って母の手伝いをてしてくれているご長男・・・現在に至るまで高垣酒造が頑張ってこられた背景には、代々続く杜氏たちの努力のほか、その時代時代で蔵を支えて下さった数々の良きご縁があったからではないでしょうか。 こうして現代に生み出されたお酒、龍神丸・喜楽里は私たちにとっても大切な良きご縁を数多くもたらしてくれました。 造り手、売り手、飲み手、立場は違えど、ご縁に結ばれた皆さまの想いと一緒にこのお酒を味わって頂けたなら何よりの幸いです。 少しはこれで下支えをして頂いた多くのみなさまに私たちの思いを形としてお届けできます。これからも頑張って参りますのでご支援宜しくお願い申し上げます。 地酒みゆきや 店長 的場照幸 これまでの高垣酒造に純米大吟醸って存在していたっけ? 喜楽里純米大吟醸無濾過原酒 高垣任世杜氏の本気度200%の遊び酒の純米大吟醸となります。 酒米 兵庫産特A 日本酒度-2 酸度1.2 蔵元の意向により、コメントは控えさせていただいています。
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