熊野の酒屋として果たすべき役割
熊野の地酒専門店「地酒みゆきや」店長・的場照幸が掲げる終活ポリシー。
50年間酒類業界に携わってきました。
ほとんどをお酒に費やしてきた人生も、残り少なくなったと感じています。
今後、命を引き取るまでの「終活」の中で、地酒みゆきやが日本酒に対しどんな役割を果たしていくか。
終活ポリシーとして、ここに記しておきたいと思います。
【あなたの知らない日本酒の世界】
私たちは、日本酒のことをどれくらい知っているといえるでしょうか。
例えば、新潟県が立ち上げた「日本酒学」という学問は、日本酒という切り口から、あらゆる学問分野を網羅しています。
「日本酒の歴史は知っているかもしれないけれど、農業については知らない」
「醸造の仕方は知っているけれど、医学的な日本酒の機能は知らない」
日本酒に長く親しんでいる人も、専門的な知識を勉強している人も、実のところ、知っているのは氷山の一角にすぎません。
「最近、日本酒に感動しない」
「自分にそんな知識は必要ない」
そう感じてしまうのは、これまでの経験や体感を基にして判断してしまっているからかもしれません。
日本酒には、まだまだ知らない世界がたくさんあります。
知らない世界を知ること、体感することは、あなたの価値観をふくらませ、日本酒を通して体験できる「幸せ」を増やすことにつながります。
~多様性を受け入れる熊野の酒屋として~
熊野に伝わる「濡れわら沓(くつ)の入堂の精神」という話があります。
かつて、熊野詣に訪れる人たちは、険しい道のりで雨や嵐にさらされて、熊野三山にたどり着くころには靴が泥だらけになっていました。
こんな汚らしい姿では、神様に参拝できない。そう迷う人たちを、「泥だらけの靴のままでもよい」と温かく拝殿に迎え入れたのが熊野だったのです。
宗教、人種、信不信、性別、身分、貧富、浄不浄、身なりを問わず、心からの参拝の志があれば、別け隔てなく迎え入れてきた熊野。今の言葉で言えば、「多様性」と表現することができるでしょう。
これは、熊野の酒屋であるみゆきやが理想とするあり方です。
しかし私自身、かつてはすべてを受け入れられるわけではありませんでした。有名なお酒を追いかけ、お客さまから「人気銘柄を口にできて満足した!」と言われても、どこかで喜べない自分がいました。
そんな私に気づきを与えてくれたのが、銀閣寺で花方を務める珠寳(しゅほう)さんという方の言葉です。
生け花のプロである珠寳さんは、最終的な形は頭に置かないようにしているそうです。
お花は人と同じで、10あったらみんな違う表情をしている。バラなのか、椿なのかといった花の名前は忘れて、一本一本の花が持つ表情に合わせていく。
自分の持っているイメージで固定してしまうと、目の前にある本当の姿が見えなくなってしまう。
珠寳さんは、そう考えています。
「花は生きてますからどんどん動いていくでしょ。それなら自分も一緒に花のように動いていけばいいのだと思っています」
珠寳さんが生け花に込める
「自然に寄りそう」
「個性に寄りそう」
というメッセージは、そのまま日本酒にも当てはまる言葉です。
自分の中にある日本酒に対する固定観念を忘れて、一本一本のお酒の本当の姿と向き合う。
それによって、一人ひとりのお客さまが、お酒を愉しむステージをアップデートするための提案が生まれてくるのです。
たとえ無名だったとしても、蔵人が一生懸命造ったお酒。その魅力を見つけ、伝えられるようになれば、自分自身の愉しさがふくらみます。
日本酒を別け隔てなく受け入れ、愉しむ方法を伝える。
それが、熊野人の末裔としてのみゆきやのあるべき姿なのです。
【常識にとらわれず、唯一無二を極める】
みゆきやはよく、「おかしな酒屋」と言われます。
熊野出身の著名人を見ていると、熊野人には新しいことを起こすのが好きなDNAがあることがわかります。
有名な日本酒。よく売れる日本酒。プレミア付きの日本酒。
これらのショーレースはどこかでレールが決まってしまっていて、どれもよく似たタイプのお酒が選ばれているように思えます。
多くの人が良いと思うのは、すでに世の中には存在しているという証なのです。だから、うまくいってないもののほうが、新しい可能性がある。
みゆきやの武器は、「唯一無二」です。熊野という場所にあるみゆきやだからこそ伝えられるワクワク感、驚き、新しい世界観との出会いのきっかけを作っていくのが、酒屋として果たすべき役割だと思っています。
もちろん、うまく伝わらないこともあります。しかし、それはお客様のせいではなく、私自身が至らなかったからです。
熊野には、一遍上人のこんなエピソードがあります。
一遍上人が布教のために道ゆく人々へ念仏札を配っていたとき、「どうしても信心が起こらない」と受け取りを断る人がいました。
一遍上人が布教のあり方について悩んでいると、枕元に熊野権現(阿弥陀如来)が現れ、「あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、
その札を配らなければなりません」と告げます。
この言葉を受け、一遍上人は「我生きながら成仏せり」と歓喜したと言います。
世の中には、おもしろいお酒を造る人々、求めている人々がいます。
そんな造り手・飲み手のみなさんとともに、傍流に追いやられているお酒を本流に導き入れるお手伝いをしたいのです。
つまらなそうに話を聞いている人にこそ、夢中になれるチャンスがある。
うまく行かなかったとしても無駄なことはひとつもなく、伝え方を今一度考えることがスキルを高めることにつながっていくのです。
私がやっていることも、「おかしい」と思われるのは今だけのこと。
私がこの世からいなくなったころには常識化していると夢見て、歩み続けています。
【キーワードは「ビンテージ」と「ペアリング」】
みゆきやだからこそ伝えられるお酒の価値。キーワードは、ビンテージとペアリングです。
ビンテージ──お酒が輝く人生のステージを見極める
初春に田を耕し、農家さんが約半年間成長を見守り、日々自然の恵みを受けたお米は、蔵人たちが待つ蔵に運び入れられます。
蔵人たちの手に渡ったお米は、目には見えない菌たちと対話をしながら、ひと月のちにきらきらと輝くお酒の赤ちゃんとして生まれ変わります。
しぼりたての誕生です。
しかし、しぼりたてが必ずしも飲みごろかというとそうではありません。
どんなお酒にも、未熟域、適熟域、過熟域が存在しています。
フレッシュビンテージ酒:乳児期から成人期へ
しぼりたてのお酒は、まさしく乳児期。お酒も人間と同じように成長し、秋あがりのころに幼児後期を迎え、自我が目覚めはじめます。
その後もあるお酒は酒蔵で、あるお酒は酒屋で学童期を迎え、まだまだ未熟なところを残しつつも青年期の入口にたどり着きます。
その後、成人期を迎え、そのお酒の個性が煌めく適熟域を過ごします。
みゆきやでは、この時期のお酒の資質をできる限り残すために熟成させたお酒を「フレッシュビンテージ酒」として扱っています。
酒質によっては、時を重ねることで生まれる棘味を可能な限り抑制するためにマイナス5℃や氷点にて熟成を重ね、
中には10~30年以上を時間をかけて磨くものもあります。
ビンテージ酒:成人期から老年期、そして解脱
一方で、かわいがっても資質が開花しなかったり、打たれ強かったりする場合は、冷暗所で静かに時を重ねてもらいます。
これらのお酒は、人生の最高峰の円熟味と奥深さに至る成人期、壮年期を迎えます。
さらにゆったりと時間をかけ、最終章を迎えるお酒もあります。
しぼりたての乳児期とは似ても似つかない枯れた樹木のような味わい、深みのある甘い香り、新たに生まれたニヒルなビター味が織りなす、魅力的な老年期です。
そして生まれてから半世紀も経つころになると、誰もが予想もしなかった大宇宙のような風味を生み出してます。まさしくお酒が解脱し、仏となるときです。
ミステリービンテージ酒:予測がつかない美味しさを引き出す
しかし、中にはこれらのセオリーに該当しないお酒もあります。
例えば、生酒は冷蔵管理されるのがデフォルトですが、わざと冷暗所などに置いたり、長年にわたり時を重ねたりしてみる。
そのほか、高温の環境下で長年にわたり熟成させたヒーティングビンテージ酒などもあります。
どのような味わい、風味の過程を醸し出すか予測ができないこれらの熟成酒を、当店では「ミステリービンテージ酒」と位置付けています。
ペアリング──お酒の個性を踏まえて美味しさを演出
地酒みゆきやがペアリングの大切さを伝えるようになったのは、日本酒に対する「美味しくない!」という感想を耳や目にしたことがきっかけでした。
そのお酒は、果たして本当に美味しくないんでしょうか?
実は、そのお酒が悪いわけではなく、飲み手であるあなた自身が、そのお酒をいつ(タイミング)・どこで(シーン)・どんなふうに飲むべきかというTPOを理解していないだけではないでしょうか。
「美味しくない!」と感じたお酒を「美味しい!」に変身させるために、まずは自分の思い込みを捨てて、お酒に寄り添ってみる。
その方法として、みゆきやが提唱する3つのペアリングスタイルをご紹介します。
フードペアリング:料理の素材をお酒に置き換える
私は酒屋よりも長く飲食店を営んでいた関係で、日本酒を単なるお酒ではなく、「料理の素材」として捉えているところがあります。
そのお酒が「美味しくない」と感じるのはどんな味が原因なのか。
酸っぱいお酒はカレーや唐揚げに合う。なぜなら、カレーにはらっきょうが、唐揚げにはレモンが合うからです。
辛みが強いなら大根おろしとして、青臭くて苦いならネギとして、薬味のように組み合わせたり、主菜に対する副菜のような合わせ方をすることで、驚くほど料理を押し上げる存在になってくれます。
アートペアリング:料理に合うお酒を自分で創作する
アートペアリングとは、芸術性の高いカクテルのようなペアリングです。
複雑な味わいのお酒を組み合わせるカクテルは、まさに舌で感じるアートといえるでしょう。
日本酒の場合も、単体ではハマらないお酒でも、絵の具のようにして色合いの異なるお酒をブレンドすると、ぴたりと料理にマッチする飲み物に変身します。
アートペアリングは「チューニング」と言い換えもできます。
同じ車でもサーキット仕様、ラリー仕様にチューニングするとまったく違う車になりますよね。
お酒も同様で、飲用温度やグラスの形状を変えることで、同じお酒を焼肉仕様、鍋仕様などに調整することができるのです。
エンタメペアリング:手品のような面白おかしい組み合わせ
エンタメペアリングは、その言葉のとおり、思わず笑ってしまうような楽しいペアリング。
手品みたいに不思議な変化が起きて、笑顔になれる組み合わせのことです。
アイスクリームと古酒、酸っぱい酒とパイナップル、お出汁を加えた燗酒などなど。
美味しさはもちろんだけれど、それよりも「おもしろい!」が先に来るようなペアリングもこの世界には存在するのです。
いずれのペアリングも、大切なのは自分で体感すること。
店頭に来たお客さまには食べ物を使った試飲をして体験していただくだけでなく、
通販で購入いただいたお客さまにもご家庭で再現できる食材やレシピをお届けして、体で納得してもらうことを目指しています。
こうしたビンテージやペアリングの根幹には、酒蔵や農家、自然に対するリスペクトがあります。
その瞬間の味わいで決めつけてしまうのではなく、酒屋や飲み手がしっかり育て、美味しく口にしてあげる。
日本酒の飲み手として、日本酒の役割を全うさせるためのスキルも必要だということを忘れないでほしいと思います。
いよいよ私も終活です。
自らの勘だと現生にいられるのは10年でしょうか。
しかしみゆきやの棚には、10年後に煌めく資質となるお酒もあります。
次の20年、50年、100年後にバトンをつなげていきたいお酒たちもあります。
残り少ない店主生活となりますが、1銘柄でも多く発掘し、一人でも多くその魅力を伝えられればと思います。
地酒みゆきや 的場照幸